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「私の知らない、私の事情」第5回


 まさかとは思うけど、これって密会?
 社長と伊織さんが? 社員の目を盗んで逢う仲なの?
 何だか…のぞき見をしているようで気まずい。

「忙しいのに悪かったね。キミとはきちんと話しをしないといけないと思ってね」

 それってまさか、別れ話の枕詞ですか、社長。
 だからさっき、あんなに浮かない顔をしてたってこと?
 うわー、マズイところに飛んできちゃったなぁ、私。これ、このまま聞いてていいのかな。
 いやいや、聞いてる場合じゃないでしょ。早く事務所へ戻って自分が急いでどこへ行こうとしていたのか、解明しなきゃいけないんだから。でも、ちょっとこの場を離れがたい…のが人情ってもんだよね?

「キミとは長い付き合いだが、そろそろ潮時だと思うんだ」

 うわー、その言葉を言っちゃいますか、やっぱり。

「キミには本当に感謝している。キミがいなければ、私はここまでやってこれなかっただろう。しかし…」

 それまでじっと社長を見つめていた伊織さんが、社長の言葉を遮る。

「もう私は、必要ないとおっしゃるんですか?」

 静かだけれど、怒りと悲しみがこもった声だと思った。
 伊織さん、そんなに社長のことが好きだったの? なんか、切ないよ、そういうの。

「そうじゃない。本音を言えば、私だってキミを手放したくはないよ」

「それならどうして…」

 やばい…これはもう、修羅場へまっしぐらの展開だ。
 やっぱりこれ、見てちゃマズイって。マズイってば、ねぇ。

「聞いてくれ。キミが会社を愛してくれていることはよくわかっている」

 へっ? 会社?

「こんな弱小会社に留まってくれて感謝もしている。でも、それではだめなんだ。キミはいつまでもうちにいていい人じゃない。キミはもっと大きな仕事をすべき人なんだよ」

 あれ? これはつまり、仕事の話? 密会とか、別れ話とか、修羅場じゃなくて?
 なーんだ。そうならそうと早く言ってよ。びっくりするじゃない。
 たしかに、伊織さんほどデキる人がうちみたいな弱小会社にいるなんてもったいない。なにせ、難攻不落の城、いやクライアントも3日で陥落するとか言われちゃってるやり手だもの。そんなすごい人が今までうちにいてくれたことが奇跡だ。
 そういえば、星の数ほど降ってくるヘッドハンティングをけんもほろろに断っているって噂もあったし。
 ということは、これは伊織さんのためを思っての社長からの進言ってこと?
 誰だよ、密会とか言って盛り上がってたのは。すみません、それは私です、はい。

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「私の知らない、私の事情」第5回