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「私の知らない、私の事情」第7回


 「考え…させてください」

 伊織さんは搾り出すようにそう言って、社長に頭を下げた。

 「しっかり考えなさい。会社のことは心配しなくてもいい。残ったメンバーだってそう捨てたモンじゃないさ。果南なんかも頑張ってるしな。ま、アイツの場合は張り切りすぎて空回りしてることの方が多いけど」

 いきなり私の名前が出てきて驚く。そう、私の名前は茅島果南。いまさら名乗るのもどうかと思うけど。名乗るタイミングがなかったので、そのへんはご容赦を。

 でも、意外。社長にはいつもいつも怒られてばっかりで、きっと私のこと使えないヤツだって呆れてるんだとばかり思ってた。ちょっとは期待してくれてたんだ。そうなんだ…。
 もっと早く知りたかったな。できれば死んじゃう前に。だってもう私は、会社の役には立てないんだもん。その分、ドジやって迷惑かける心配もないけど…。

 って、あったよ、あった。迷惑かけることが。すっかり忘れてた。
 私は今日、何か大事な仕事を仰せつかってるはずなんだ。なのに、途中で事故って死んじゃって、しかも、その大事な仕事をキレイさっぱり忘れちゃってるっておマヌケな状態。早く思い出して何とかしないと。急がなきゃ!

 社長と伊織さんとの顛末を見守った私は、予想外の寄り道から慌てて軌道修正を図る。
 もう一度、会社にいそうな人の顔を思い浮かべ直してみる。今度は確実に会社にいる人にしよう。それなら…やっぱりあの人か。会社に住んでるとまで言われている新野さん。
 タバコを咥え、資料が散乱して無法地帯と化したデスクの上で探しものをする、無精髭の丸顔を思い浮かべた。

 

 気がつけば、見慣れた風景の中。やった。今度はちゃんと事務所に戻れたみたいだ。よかったー。

 さっそく行先ボードへと移動すると…あれっ? 私の名前札が赤になってる。

 うちの場合、名札はリバーシブルになっていて、出社をしたら「黒字」を表にして、帰る時にはひっくり返して「赤字」にするシステムになっている。
 正直、さほど人数が多いわけじゃないうちみたいな会社は、そこまでしなくても誰がいて、誰がいないかなんて一目瞭然。だから、行先ボードの扱いは、みんなけっこういい加減だったりする。出社しても赤札のままってこともよくあるし、その逆もまたしかり。そんな社員が大半な中、私はこのシステムを守っていた少数派だ。
 だからこれを見れば、自分がどこへ行こうとしていたのかわかると思ったのだ。けれど、その札が赤になっているということは、私はもう退社してる?


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「私の知らない、私の事情」第7回