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「私の知らない、私の事情」第8回


 私はもう退社してる?  まさかこの時間になって出社してないはずはない。
 あれ、そういえば今って何時だろう。
 腕時計をする習慣のない私は、とっさにスマホを探すが、手元にはない。スマホどころか私は何も持っていなかった。カバンも何も。

 改めて、自分がどんな格好をしているのか確かめてみる。
 服装は…あ、勝負服だ。ということは事故に遭った時そのままってことよね。まさか全身から血を流してるとか、そういうオドロオドロしい姿になってたりしないよね? ユーレイは鏡に映らないはずだから自分では確かめようがないけど。
 血まみれの自分とか、ちょっと想像したくないし、世間様にも見せたくはないなぁ。あ、でも見えないか。フツーの人には。オーラが見えちゃう人とかはこういうの見慣れてるから驚かないだろうし。なら、別にいいか。血まみれでもそうじゃなくても。

 いやいや、確かめたいのはそうじゃなくて。
 でも、持ち物がひとつもないってことは…事故の時に吹っ飛んだままってのがいちばん可能性ありそうだなぁ。カバンがあれば、中身をチェックして予想を立てることもできたのに。資料とか入ってれば、なんの仕事だったか思い出すかもしれないし。

 ということは、カバンのあるところに飛べば、何か手がかりがつかめるんじゃないの。
 うーん、私ってば天才!
 でも、私のカバンって、今どこにあるの?

 考えてみよう。
 今カバンがあるとしたら…私の死体と一緒に病院というのが可能性高そうだ。よし、とりあえず病院へ行ってみよう!
 あ、でも私ってどこの病院に運ばれたんだろう。それ知らなくちゃたどり着けないじゃない。あーうかつだった。あのまま一度、救急車についていって病院を調べておくんだった。
 これが仕事ならツメが甘いって社長に怒鳴られてるとこだ。でも、あの時はこんな事態になるとか予想できなかったし。って誰に言い訳してるんだ、私は。

 あ、もしかして、自分のことを思い浮かべたら病院に行けるんじゃない? だって私はそこにいるんだし。ダメで元々。試してみるか。

 私は自分の顔を思い浮かべてみる。
 あれっ? 私ってどんな顔してたっけ?
 社長や新野さんの顔はあんなに簡単に頭の中に描けたのに、自分の顔でこんなに苦労をするとは。鏡なんて朝ちょっと見るだけで、そういえば、自分の顔をじっくり見たことなかったなぁ。それでもさ、27年も付き合ってきた顔よ。もっとこう、スルッと華麗に思い浮かべられてもいいんじゃない?

 必死になって自分の顔を思い浮かべるという奇妙な苦行に、ちょっと笑い出しそうになった頃、ようやく私は、私の元へと飛んで行った。


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「私の知らない、私の事情」第8回