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忘れられない人

忘れられない人。
その言葉の甘美な響きに、彼女は酔いしれる。
心の奥にずっとくすぶり続けている想いがあると、
瞳をうっとりと潤ませながら。
 
たしかに、昔の恋は美しくて忘れがたいだろう。
目の前の彼女のように、
脳内で完璧に編集がかかっているならなおさら。
元カレのイヤなところはキレイさっぱり削除して、
いいとこばかりをリフレイン。
まったく、都合のいいことで。
 
「どうしてあのとき、カレと別れちゃったんだろう。
 あんなに好きになれる人には、もう出逢えない気がする」
 
ふぅん、どこかの安いラブソングみたいだね。
でもさ、携帯を根こそぎチェックされて、
ネチネチ責められたってグチっていたのは、
どこのどちら様でしたっけ?
嫉妬深くて、疑り深くて、おまけに執念深いって、
うんざりしていたのは、なかったことになっているらしい。
それもこれも、思い出補正というヤツか。
まったくもってバカバカしい。
 
自分たちの別れ話そっちのけで、
昔の恋の想い出に浸り続ける彼女を残し、
僕はカフェのテーブルを後にした。
 
帰り道に、ふと思う。
あと何年かしたら、彼女は僕のことを
 
「忘れられない人がいるの」
 
なんて言いながら想い出すのだろうか。
でも、それはお断り。
曖昧な想い出の中で美化された自分なんてまっぴらごめんだ。
どうか、僕のことはサラリと忘れてほしい。
だって、愛しい人は、
目の前にいなくちゃ、何の意味もないでしょう?

朗読/空閑暉